江戸時代の髪型はハゲにオトク?

こんにちは!

秋も深まりどんどん寒くなってきました。 狭い家のお風呂でなく広い銭湯に行ってあたたまりたいな~、と思う毎日です。

 

ところで、銭湯という文化はいつごろ始まったかご存知でしょうか。

 少しご紹介したいと思います。

 

日本の銭湯の発展

銭湯は、なんと6世紀に渡来した仏教の教えから始まりました。

 仏教では、沐浴をして汚れを洗うことは仏に仕えるものの大切な仕事として位置付けられ、寺院では浴堂という入浴ができる場所を作られました。

 

奈良の東大寺法華寺には、今でも浴堂が残っているそうです。

 

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当初、浴堂には一般の人がはいることが出来ませんでしたが、鎌倉時代になると寺院が一般開放するようになりました。

 

庶民の家々には浴室がなく、銭湯もなかった時代です。寺院によるお風呂は宗教的な意味だけでなく、お風呂にはいれる素敵な場所でもありました。

 江戸時代になると銭湯は発展し多くの人が利用することとなり、今日では普通の銭湯だけでなく、スーパー銭湯という家族でたのしめる場所も登場するようになったそうです。

髪の毛を洗う事情

江戸時代になるとある程度、自由にお風呂に入れるようになりましたが、当時髪の毛を頻繁に洗うということはあまりなかったようです。

 

江戸時代、女性が髪の毛を洗うのは月に1~2回程度で、夏場になると回数が増えたようですが、気温が暑く汗もたくさんかくことを考えるともっと頻繁に洗いたいのが本音ですね。

 

なぜ、髪の毛を洗う回数が少なかったかというと、ドライヤーなんて便利なものがないため髪の毛を乾かす時間がかかるからです。夏場でも怪しいですが、冬場に髪を洗うようなものなら完璧に乾かすまで、時間が大変かかるため風邪を確実にひいてしまいます。なので、天気も髪の毛を洗う指標として重要だったそうです。

 

太陽のあたたかさは偉大ですね!

 また、髪の毛を洗う準備や実際に洗うのにも時間がかかる大仕事であったため、なかなかタイミングがなかったというのもあったかと思います。

頭皮には大ダメージ

しかし、髪の毛を洗わないことで、風邪は引かないかもしれませんが、毛穴にとっては大ダメージです。髪の毛を頻繁に洗わずいることは、毛穴に皮脂がつまり髪の毛の成長を邪魔するだけでなく、フケやかゆみが発生したことが考えられます。頭皮環境の悪化です。

 

薄毛だった人にとっては、薄毛を悪化させる原因となっていたことでしょう。

ハゲがたくさんいたはず

当時の男の人達の髪型である月代(さかやき)。月代は時代劇でよくみる、前髪と頭頂部を剃り落とし曲げを結う髪型です。

 少し思ったのですが、月代はM字ハゲとO字ハゲを進ませた髪型なため、気づきにくいですが結構隠れハゲがいたのでは?と。

 

ある意味ハゲ隠しの髪型は、みんな同じような髪型をしていることが当たり前で奇異な目で見られることはなかったでしょうが、絶対ハゲがいたはずです。

 

しかし、月代が一般的な髪型である江戸時代では、ハゲていてもそんなに困りません。頭頂部と前髪部分は一定期間になると、月代を綺麗に保つため剃っていたそうなので、ハゲていることは逆に髪型が結いやすくなる上に、散髪代を安く済ませることができるためオトクだったのかもしれません。